祖母と伯父伯母が暮らしているのは
仙台市でも山側の新興住宅地で
一見すると、中心街でも感じたように
震災があったことに気づかないほど普通の暮らしに戻っていました。
でも数日そこにいると
もう1年半にもなろうというのに
消えない傷がそこかしこにあることに気づかされます。
傷痕は、崩れたままブルーシートをかけられた斜面とか傾いた家とか、
目に見えるものだけではありませんでした。
それは放射能という存在。
福島から遠く離れた愛知県に住んでいる私たちが想像しているよりたぶんずっと
見えない放射能の存在は生活の中で大きな位置を占めていました。
伯父たちの住む住宅地では
小さな子どものいる家族の多くは他県へ引越してしまったという。
近くの山にたくさんのわらびの葉を見つけてはしゃぐ私に
町内会の決まりで、山で採れる山菜やキノコは
採って食べたりあげたりしてはいけないことになっているという。
仙台へ来てすぐに食べたくて入ったずんだ餅を売るお店では
「うちは宮城の米を使っていないから安心してください」といわれ
地元の人には、
「遠方からこちらに来てくれた人に食べ物や土産物を渡しても駅で捨てられてしまう」という
どこまでが本当でどこまでが都市伝説か分からない話も聞いた。
愛知県にいると、今はスーパーでは関東東北の農産物はほとんど見かけない。
売る側がもう排除して店に出しているからだと思うけれど
私たちがふだんあまり気にしなくても大丈夫なようになっている…
目に見えず、何が正しい情報かも分からない放射能という存在。
その存在を身近に感じて暮らす毎日。。。
うまく言葉にできなくてもどかしい。
でもこんなのやっぱり間違ってる。
* * * *
大飯原発が再稼働して
節電目標が緩和された。
原発云々の前に
このエネルギー無駄遣いの流れを変えるためにも
そのまま節電の努力を続ければいいんじゃないのか、とさえ思う。
だって、冷房がんがんかけて、
そこで長袖やネクタイやカーディガン着て過ごしてるなんて
おかしいよ。
そして8月の終わりまでに原発依存が0%か15%か、20~25%かが決められてしまう。
政府はパブリックコメントや意見聴取会を行うというけれど
それがどこまで反映されるのか分からない。
原発再稼働で地震や津波などの災害の安全性のことが話題になるけれど
事故が起きる起きない以前に
電気をつくる時点でたくさんの被ばくのリスクがあることを忘れちゃいけない。
たとえば安全のために定期的に行われる検査では作業員のみなさんが被ばくする。
(私たちの地元にある浜岡原発では、実際に定期点検の被ばくによる白血病で亡くなった作業員の方もいる)
原料のウランを掘る時だって同じだ。
もちろん人の命に関わる危険な仕事はほかにもたくさんあるけれど
私たちはそういう犠牲の上でつくられた電気を使うことになる。
それを忘れちゃいけない。
…やっぱり
誰かが被ばくしないとできない電気を使ってるって
間違ってるよ。おかしいよ。そう思わない?
声をあげるのすごく怖い。
けど、勇気出して今声を出さないとって思うんだ。
参考:
◎
中国新聞「被曝と人間」◎
国家戦略室の「エネルギー・環境会議」「
話そう エネルギーと環境のみらい」
→
パブリックコメントについて(7/31まで)
→
意見聴取会 名古屋は今日7/11〆切
◎
さよなら原発1000万人署名 オンライン署名できます。賛同の方はぜひ。
*通販生活「さようなら原発1000万人署名」に賛同した"脱原発国会議員"はこの人たちです。」
*私も参加しています*


*うまくまとめられず、とりとめなく長くてすみません。。。
ここまで読んでくださったあなた、本当にありがとう。
camera: Nikon D5000 + VEB Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8 *degi
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